https://magic.wizards.com/en/articles/archive/news/depictions-racism-magic-2020-06-10
To that end, we will be removing a number of images from our database that are racist or culturally offensive, including:
Invoke Prejudice
Cleanse
Stone-Throwing Devils
Pradesh Gypsies
Jihad
Imprison
Crusade

あまり差別意識を感じない国に住んでいることもあるし、文化の違いの存在も大きいだろうけど、最初見た時に思ったのは「しょうもない」。

正直、この禁止措置は別にWotCが悪いとか、そういうことを言うつもりはまったくない。WotCはどちらかというと致し方なく25年以上前に刷られたカードが槍玉に挙がったから頭ぺこぺこして禁止したに過ぎない。
じゃあ何がしょうもないって思ったかって、今回の禁止は所謂ポリコレだって点。
ハッキリ言って、ポリコレ大嫌い。(もちろん差別とか、他文化を否定するとか、そういうのに賛成なわけではない)


ここ何十年かで、何かを表現するとき、ポリティカルコレクトネスはどちらかというと壁とか障害になりつつある。
個人的な考えだけど、意図が介在する限り万人を満足させる表現なんて存在しない。うっかり何かが紛れてしまうかもしれない。その中でも、何かを表現するなら多くの人が不快に思わないように言葉を絞る。表現する。それでも本当に不当だったら謝る。当然元からよくない表現なら使うべきではない。
ただ、行き過ぎるならそれは言論統制や表現規制でしかないし、事実それを理由に言葉をいくつも世の中から消した。表現を禁止した。叩いて、殴られた。
本来は社会的弱者やマイノリティを守るための枠組みが、現代では文化や表現の破壊行為の道具になっている。

今回の場合、世界的潮流になっている人種差別偏見に関連する動きを理由に、過去に出たいろいろなものを、ポリコレという凶器でぶっ叩いているように見えてならない。
この二週間で、映画は消え、カードが消えた。銅像は落とされたし、20年前にやった芸を謝罪させられた人も出た。
どれもこれもここ最近の表現ではなく、当時許されていた表現を現代のポリコレ枠に当てはめてぶっ叩いた例でしかない。そして、消された文化は記録として残り、日に再びあたることはきっとない。

そして、過去の文化を痛めつける行為は今に始まったことではない。カリフォルニア州では1990年に「未成年の読む話にワインは教育上よくない」として『赤ずきん』が2区の学校図書館から消えた。スペインでは『赤ずきん』『シンデレラ』『いばら姫』などが「男女のステレオタイプの助長」として学校図書館から消えているという。
別に人種差別に抗議するとか、目に見えないレイシズムを破壊するとか、そういうのに賛成でも反対でもない。しかし少なくとも目に見えてる文化は棒で殴られている。

主観的には現代における最大の表現規制及び文化破壊は、間違いなくポリティカルコレクトネスに他ならない。
ほじくりかえしては消せと言い、言葉を紡いだ人にいちゃもんをつけている。やりたいことをやれば殴られる。そんな時代だ。
人類が通信手段を発達させ、誰もが発信できるここ何十年が目立っているだけで、多分さかのぼればいくらでもそんな例が出てくるだろう。人類が人類でいる限り、きっと表現は死に続けるのだ。


今回の哀れな禁止措置を受けた、罪なき不幸なカード達に哀悼を。R.I.P.
此間夜中にぼそっとTwitterで呟いた愚痴について掘り下げてまとめてみる

キッカケは、シャドウバースに対して「相手にだけ理想ムーブされる」「あのカードクソ ふざけんな」「先手だけで勝負決まるのクソ」しか言わないだけのつまんねえ奴を見たこと。
知り合いだし、相互フォロワーだけど極めてくだらない価値観だと思うしカードゲームをやる以上捨てたほうがいい考えばっかりだから僕はイライラしてました。
僕から言わせれば「このゲームつまんねえ」とか言いながらやってるお前が一番つまんねえよやめちまえ。

ですが、Twitterなどを見ているとこういう発言を無限に繰り返す輩は沢山いるわけですよ。
僕から見ればこういう人はまずカードゲームなんたるかについて微塵もわかってねえなと思ってます。マジックで例えるのが簡単なのでマジックで例えまくろうと思います。


まず、カードゲームというのには操作できない部分が常に存在します。それは「運」の部分です。そして質の悪いことにこの運という部分は常に流動的に動き、均一ではありません。
僕は死の影デッキを使っていたころ、当たり前のように数ゲームに1回の頻度でトリプルマリガンを連続していました。青赤に戻してから大きく減りましたが、使っていて「運がないな」と散々思ったものです。別に青赤が板!と言いたいわけではありませんよ?

ところで、自分に不運が10だけ降りかかるのであれば、相手もどこかで同じだけの不運を被っているわけです。それが自分にとっては今で相手にとっては今じゃない。だからそこだけ切り取って自分だけ不運を被っているように見えるのです。
そして、人間は幸運にあったことより不幸にあったことが強く印象に残る生き物です。だから「相手にだけ『また』理想的な動きをされた」という印象が強くなるんだと思います。
違う、そんなことないと否定される方は是非統計でも取ってみればいいと思います。僕は取りません。貴方の根拠のない発言に付き合う義理なんてありませんからね。
なので僕から言わせればそんなに理想的な動きをされて負けるのが嫌なら少しはそれに対処する手段がないかを模索したほうがいいと思います。努力もしないで理想的な動きされて負けたハークソゲーって言ってる人に絶対に進歩はありません。

そもそも「理想的な動きをされた。だから負けた」という言葉の意味が僕にはこれっぽっちもわかりません。
ゲームは違いますが例えば思考囲い⇒タルモゴイフ⇒ヴェールのリリアナの動きは理不尽ですか?
これを理不尽だなんて言う人はいません。そのデッキにとっての最良の動きをしてくるであろうと予測をもって常にプレイしているからです。1枚目のヴェールのリリアナを出されて「持ってたかー」とかわけのわからないことをいう人はいません。なんで見えてない1枚目からお祈りするんですか。

相手のデッキは構築段階で「この動きは最良のものになるぞ」というものが織り込まれています。それが存分に発揮されることのなにが理不尽なのでしょうか。貴方のデッキはそうつくられていないのですか。
「相手は次は6マナに到達する。原始のタイタンが来るであろうから構えよう」と考えることは不自然なのでしょうか。
そんなわけありませんね。もしこれを否定する人は、コントロールの神の怒りを警戒せず手札を広げて負けてキレるアホです。チンパンジーより酷いでしょう。是非とも森へお帰りください。

もし、「理想的な動き」に辟易している方がいたらカードゲームに向いていません。今すぐ辞めたほうがあなたのためです。
それでもやりたいというのであれば、相手の動きは常に最良であるという一点読みをされることをお勧めします。絶対に行き当たりばったりになりませんし、予想を上回られることは100%ありませんよ。
だがトロントロントロンカーン てめえはだめだ

因みにトップデッキも同じようなものです。デッキが40枚でほしいカードが4枚なら単純に10%の確率でトップデッキします。それの何がおかしいのでしょうか?相手のトップデッキは常に宝くじが当たる確率のようなものなのですか?考えが浅いですよ??


次に、先手ゲーと言われるものについてです。

ハッキリ言いましょう。先手後手なんて半々です。
その場の数回で先手後手の回数を取ったら60%後手だったとかになるかもしれません。僕もダイスロールに20連敗したこともありますよ。
ですが、生涯成績で見たらきっと5割なんです。これも運の流れです。
貴方はその部分を切り取って揶揄してるにすぎません。やっぱり考えが浅いですよ?

僕も先手をとれなかった不運を嘆くことはいっぱいありますが、最後には「でもしょうがない」と思っています。
泣いても結果は変わりません。いかに気持ちを切り替えるかではないでしょうか。
そして、先手ゲーと嘆くのであれば後手でいかにゲームを取るかを考えるべきではないでしょうか。
ゲームの半分は後手なんですから、先手でだけ強いカードばっかバンスカ入れて負けているなんて言うのは言い訳以下ですよ。



カードゲームというものは常に運に左右される要素が存在します。
いわゆるブン周りに当たる理想的な動きというのは構築段階で決められているものです。それが流動した運の流れによって相手だけ放出されることもあるということです。
先手後手も同じです。相手がツイていれば貴方はダイスロールに負けるでしょう。しかしそれだけのことです。

それよりも、その中で、運に左右されない部分をいかに上昇させるかというところに、私はプレイヤーの器量が存在していると考えています。
運に左右されない部分で思考や趣向を凝らし、ゲーム中は与えられたリソースでいかに相手からゲームを奪うかを考えること、それがカードゲームの基本的なところであり、技術介入と呼ばれる部分です。
僕も不運を嘆き、愚痴をこぼすことはたくさんあります。しかし、これだけはいつも忘れません。


ただ愚痴を言うだけでなく、自分の今のゲームにミスはなかったか振り返っていますか?
構築はいつでも完ぺきではないと否定していますか?
そのゲーム中、自分の思考は正しかったですか?
反省点は見つかりましたか?

そして、楽しくゲームができましたか?


ゲームは娯楽です。辞めたければ辞めることができます。
その選択肢を選ばず、プレイを続けるというのであり、上昇志向があるというのであれば。
運について嘆く前に、できることの探究を。
※初めに※
以下の記事で登場するハンデスという単語は全てピーピングハンデスの意味です。いちいちピーピングピーピング書くとくどかったので統一した


最近友人のプレイ見てたり、相手にハンデスを撃たれたときに間違えてるよそれと思うことが多くなったこと、またハンデスやカウンターについての考え方についてといったものについてそういえばみたことねーなーと思ったしその友人にとっては大変もったいないことです。
それについて簡単にお話ししたところ、いろいろ考えさせられたと言っていただけましたが、人の記憶力なんてアテになりません。7日前の夕食なんて覚えていないでしょう?
せっかくだし残る形で僕なりの考え方でも書こうと思います。


1st-基本的な考え方

まず、ハンデスの本質というものは極論ですがカウンターや除去と同じものです。
例えば思考囲いは当たり前ですが、基本的には1枚使って1枚捨てさせています。つまりゲームの上でのリソースでは1:1交換しかしていません
これは対抗呪文だって恐怖だって同じです。本質的なところでは何も変わっていません。
なので1:1交換しかしてないのに除去やカウンターはクソ!死ね!とばかりに文句を言う1:1交換否定症の患者の方はハンデスだって文句を言うべきですし使ってはいけません。当然ですね(まあハンデス否定派が少ないのは印象の差だと思います)。

さて、何が言いたいかと申しますと、まず1:1交換というリソースの交換方法は極めて繊細だということです。
例えば打消しには「見送る」「マストカウンターを見極める」などという考え方があるというのはどこかで必ず聞いたことがあると思います。除去にだって「マスト除去」「優先的に除去」なんて言葉が使われます。
これはもちろん相手の意志や自分にとっての幸不幸を見極めること、戦況を有利にするか否かに基づいています。しかしまあ極端に言えば繊細なために丁寧に使わないと痛い目見るぞという考え方に基づいたものだと言えると思います。
実際、丁寧に正しく、目的をもつなどして使わないと痛い目を見ますし、間違ったのに除去を当ててしまってやっちゃったなあなんて思います。なればこそ対峙している時は「ケアをします」し、相手に使わせようと「釣りに出る」のです。

しかしハンデスで「丁寧に1:1のリソース交換を狙う」という考えはあまり提唱されません。これは「回避やケアが難しい1:1交換」だからです(渦巻く知識くらいですかね。なればこそ陰謀団式療法は適当に渦巻く知識というのです)。
ハンデスには先ほど申し上げたような相手の意志と対話してうんたらかんたらというものはありません。手札を見て何かを引っこ抜くという、一方的な作業的行為に他ならないからです。

ですがここにハンデスと他の1:1交換カードとの考え方に溝を生んでいると思います。
除去に対峙するのも打消しに対峙するのも、経験と慣れだけでなく、どこまで丁寧にゲームを運ぼうか、ないしは自分に有利に使わせるかという思考など様々な要素がひっついて、ゲームの流れを左右する一つのファクターだと思うからこそ。そして絶対の正解がわからないからこそ、お互い神経質に、丁寧になっていると思います。
ハンデスには経験も慣れもクソもありません。ペペっと打って、相手の手札の意思を汲み取り、自分の思考の流れだけで評決が下されます。そこに対話はありません。対話をしないカードだからこそ対話特融の神経質さが失われ、考え方が甘くなりがちなのです。

ところがハンデスだってゲーム上の一つのファクターであることに変わりはありません。リソースの取り合い勝負の立派な参加要因です。それを適当にやっていたら勝てるゲームを落とすに決まっています。文句は言わせません。まずこれを理解してください。


まとめてしまえば「1:1交換なのでうまく扱えば扱うほどこちらにとってゲームを有利に傾け、逆にヘタクソだと相手に勝ちの目を残してしまう」です。


この考え方に基づいて物事をお話ししようと思うので、これ以降カウンター 除去 ハンデスの比較からハンデスについてみていこうと思います。


2nd-ハンデスの持つ役割

さて、ハンデスというものが1:1のリソース交換を行う対話の行わないものだとわかったところで、ハンデスの持つ役割について整理したいと思います。
カードの役割を整理する理由ですが、私はカードの役割というものを整理しておくと考え方にぬるい考えが少なくなると思っているからです。

カウンター/除去/ハンデスというものは、全て「相手の攻め行動を否定する」「こちらの行為を押し通す」の2つの役割を持っています。
1つ目はわかりやすく防御に使う考え方ですね。相手のクロックやコンボを阻害する/除去する/未然に防ぐなどです。
2つ目は相手の除去呪文やカウンターをはじく/ブロッカーを消す/抜いてしまうということです。


当然ですがこれだけだとカードの役割に差がつきません。もちろんですが、ほかにそれぞれもう少し持っています。

まずカウンターは「相手の行動を抑制する」の要素があると思っています。
要はカウンターという存在そのものが相手にとってプレッシャーになるので相手に日和るのを期待させる効果です。プレイング面の話になるので深くは言及しませんが「青2マナが対抗呪文を連想させる」とだけ言っておきます。

除去は「後出しで有効」です。カウンターはスタック上、ハンデスは自分のターンにしか打てません。しかし除去にはトップデッキという概念が他の2つより有効になる場面が多いです。正直不利な盤面でカウンターなんてトップデッキしてもゴミですからね。

さて、ハンデスですが、ピーピングによる「ゲームプランの決定」「ゲームプランの否定」の要素が強いです。
個人的にはこの考え方に行きつくかどうかでハンデスというカードの考え方が大きく変わります。

詳細は次の項にしますが、この考えに行きついていないなと思う人のプレイを見ているとすっごくぬるい抜き方をしてると思います。それくらい大事な考え方です。


3rd-ハンデスを失敗する理由

さて、こっからが本題です。

まず、ピーピングという行為が強いということはギタクシア派の調査というカードが禁止になったことにより大きく証明されました。感染やSucide Blooというデッキを成立させ、禁止の後に環境からこれらを消したこのカードですが、このカードの強さはぶっぱを肯定させるピーピングの要素にあると思います

当たり前ですがピーピングという行為には相手の行動を予測する効果があります。対抗手段も、クロックも、デッキタイプも明るみに出ます。カード7枚見ただけでデッキの中身が50枚わかる場合だってあるのです。
つまり、互いのゲームプランをこちらだけ把握できるのです。
0マナのインスタントソーサリーだって(アドバンテージを失わないのはこれだけですが)他にもあります。0マナでドローもあるから強いという理由だけなら、ミシュラのガラクタや通りの悪霊はありとあらゆるデッキに4枚入っているべきなのです。

ピーピングをしたうえで、そこから1枚引っこ抜くのであれば、当然その時自分が得た情報から一番効果的なものにするべきでしょう。
問題はここの選択の基準です。


初めのほうに、カウンターや除去には対話の要素が大きく、ハンデスには対話の要素が少ない。なればこそハンデスはより考えるべきとお話ししました。
カウンターで失敗する人はマストカウンターや見送りなどを上手く行えない練習や知識、経験不足の人です。除去を上手く使えない人も同じです。何が自分にとって嫌か、何を仕掛けてくるかを上手く読めない、ないしは相手の目的を拾えないからこそ失敗します。
もしこの2つが上手でないなと思うなら、相手の行うであろう行動の上で自分にとってこれは嫌だと思うものを何パターンか決めつけるといいです。僕もあんまり上手くないですが結構これで乗り切っていますし、自分のプランニングを決めやすくなります。

しかし、ハンデスで失敗をしている人は「単に嫌だった」という理由で動くことがほとんどです。要は一種の思考放棄なんです。
もし心当たりがあるなら恥ずべき行為です。あなたは思考を適当に行ったが故失敗した、ないしはするのです。

ピーピングまでしてる以上何が自分にとって嫌か、何を仕掛けてくるかを上手く読めない、ないしは相手の目的を拾えないなんてことは知らないデッキでもない限り言わせません。ここについては除去もカウンターも同じです、あなたの知識不足ではありますが勉強すれば補える要素です。
ですが予測の必要がないことや対話の少なさが生む弊害か、効果の処理を行わなければいけない必然性か。「これがやだな」と思えば適当だろうとなんだろうとそれを引っこ抜くことにカウンターや除去よりずっと簡単に適当さや甘い思考を生むことができてしまいます。

繰り返しになりますがカウンターや除去には絶対の正解がわかりません。正直今後のことも考えればパターンはかなりあります。なればこそ神経質になるし、その場その場で丁寧に判断する必要があります。
しかしピーピングは相手の手の内がすべて見えます。パターンなんて常に数えるほどしかありません。1枚引っこ抜いただけで向こうのプランが瓦解することも、こちらのプランを押し通すことも簡単にできてしまいます。つまり失敗する理由はあなたの考えがぬるいからに他なりません。

別に「嫌だ」という理由でカードを抜いてはいけないとは言いません。しかし、それのみで行動を100%決定することが危険な行為だと知っているのと知らないのとでは同じ「嫌だ」でも中身に雲泥の差があります。


1:1交換とは究極のリソースの取り合いの形です。適当にやっていいわけがありません。
ハンデスは除去やカウンターと違って対話を行わない、経験によるスキル蓄積が少ないから軽んじられています。負ける要素になっているんです。
ハンデスというものは自分の考えや理由を説明できるくらい考えて抜いて、初めて上手に扱えるのです。


次ハンデスについて書くときはどう選ぶかについて書こうと思います。

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