物事の言語化について難しいっていう人がいます。夜中のTwitterにある人が「私は言語化が苦手だ」という旨のツイートを投稿しておりました。
そういえば私は物事の言語化を短い程度で行うのは苦手という人がいるのは存じていましたが、そういえばどの程度なんだろうと思い、話をしたところ思っていたより面白かったのでちょっとDNに書こうかなと思い キーボード 筆をとっています。

※感覚派の人や能力の高い人やもうできる人には一切配慮していません。


まず物事を言語化する行為は、不確定な要素だったり自分の考えを単語を組み合わせた文章に落とし込んで、文字に起こしたり他人に伝えるという行為です。
言語化行為に存在する意義や行う理由としては、思考の整理を行えること、自分なりの理解をまとめること、一貫性の確認のような自分の思考の確認がまず行えることが挙げられると思います。
またアウトプットにより反復する事や別の感覚器官を用いることによる理解力の増大、伝達行為を行うことによって他人にフィードバックを貰えるなどのメリットを持っています。朗読とか筆記で物事を暗記するようなもんです。
多分他にもいろいろあるんでしょうが、僕にはあまり思いつきませんでした。ですがまだまだあるんじゃないですかね。

ゲームという広い界隈で言語化は積極的に行われています。ストラテジーとか簡易ガイドなんていうのもそうです。Google先生に聞いてみたらモリモリ出てきます。ジャンル問わず広く行われていますし、中にはもっと積極的にやれとか、これ違うんじゃねえかという反論を挙げるとか、世の中にはまあいろんな意見を持つ人がいます。
この点については別にいろんな意見があっていいと思います。先述した通り言語化は不確定な要素だったり自分の考えを単語を組み合わせた文章に落とし込んで、文字に起こしたり他人に伝えるという行為です。そこにいろんな考えがあることについてウダウダ議論するつもりは毛頭ありません。そもそも明確な定義がない話の程度の委細について議論する行為自体が不毛極まっています。


ところで、世で当たり前のように行われている言語化について、冒頭のように「ちょっと苦手」とか「やり方がイマイチ、パッとわからん」いう人は沢山います。しかし、難しいという人に手を差し伸べる人はほとんどいません。
実際には大なり小なりで誰もが言語化はある程度できてるのですが、言語化できている範囲が自分でしょっぱい、狭い、包括的でないなどいろいろな感想から「私は言語化が苦手」という感想になっているのだなと思います。
そして、この言語化の能力を人によっては「文章力・語彙力の不足」だと考えています。
ですが、ここが間違いです。

私は、苦手意識がないどころかアウトプット大好き人間ですが、「文章力や語彙力がある」なんて微塵も思ってません。
自分よりはるかに文章力が高いと思えたり、文章全体の構成の上手い人の文章なんて読むと自分の能力とのあまりの差にいつも羨ましく思います。
面白いなこれ、自分じゃこんな言葉選び出来ないからこういう文章絶対書けないわと思うたびに諦めています。
この文章だってもう何度も書き直して、何度も書きたい文章を消して、並べ替えを何度もやってこのレベルという体たらくですよ。上手い人が見たら「ヘタクソだな。コイツ学校の作文すら上手く書けねえだろ」と言われるレベルですし実際作文は苦手でした。

私が物事をある程度言語化できるのは、たまたま自分なりに言語化のポイントに気づいただけにすぎません。
アウトプットは確かに実力が絡む行為です。他人をうならせる文章や、1から10まで理解してもらえるような伝達を行うのは間違いなく能力です。
しかし、「なるほど」のような感嘆を引き出す程度でもよいのであれば、それはテクニックです。必要なテクニックさえ身に着ければ最低限の文章力でもよりよいアウトプットができるのです。ハッキリ言って、言語化が苦手だなと思う人が、今よりよりよい感嘆を頂けるような言語化を行う事には語彙力も文章力もいらないと思っています。
なので、そんな言語化のポイントの話をしようと思います。


まず、結論から話します。
私の考える言語化の基本テクニックは、「仮説・仮定」「比較」「経験」の3つに基づく話を主張に付け加える。可能なら「数字」を足す。です。
ほんとこんだけ。簡単です。この3つ+αが基本形だと思っています。


雑すぎる例を挙げて説明します。
ゲームが終わった後、対戦相手から質問を受けました。
X「どうして、あの時の状況Aの時、あなたはBというアクションを取ったのですか?」
Y「あの時はCが一番キツいと思ったんです」

結構よくあると思われる会話ですね。
もし、これでXが質問を終えてしまったらこの会話は終わるでしょう。私が冒頭に出した言語化が得意でない人はこういう感じでした。
ところで、この会話からYが「Cが厳しい」いうのはわかりました。もちろんこれも一種の言語化ですよ。
ですが、この文章からはそれ以上の情報は得られませんし、なんなら「なんでCキツいねん」という事すらわかりません。

なので、「仮説・仮定」「比較」「経験」の要素を少し足して、一歩踏み込んでみましょう。
・「そちらが今まで取ったアクションからCがあると想定しました。今Cをプレイされると厳しいので、先んじて潰そうと思いました」(仮定・仮説)
・「DというアクションやEというアクションはこういう手法で対応できるのですが、Cだけ上手に対応できなさそうなので、先んじて手を打っておきました」(比較)
・「以前CからDに繋げられてフルボッコにされたんすよ。なので警戒しています」(経験)

なぜCを厳しいと考えたかというのが、ちょっと足しただけなのに少し明朗になりました。
でも雑すぎてあんまり明朗でない気もする


もう1つ雑すぎる例を挙げます。
このOというカードは、デッキPの対策として入れています」

サイドボードに入れているあるカードの話ですね。よくあると思います(多分)
ところで、そのカードの対策は本当にデッキPのためだけなのか。これ以上の情報がこの文章からは得られません。
そこにしか効かないのか、それ以外にも使用するのか。なぜそのためだけにサイドボードの枠を裂いているのか。

・「デッキPの、特にQというカードの対策を想定して入れている。また、Rを採用しているデッキSにも効果的だと期待して使っています」(仮定・仮説)
・「以前Tというカードを試したが、デッキPに対してはOがこういう理由でより効果的だと判断しました」(比較)
・「対デッキP戦は、私のデッキは不利なのであまり勝ったことがない。しかし無視するには母数が多すぎるから、デッキPのためだけにOを採用しています」(経験)

ちょっと足しただけで、なぜOを採用するに値するかの思考がより明確になったと思います。多分


例がゴミすぎてわかりにくい可能性も考慮して、ちょっと自分のTwitterかなんかから過去の文章を引用してみます。

別にリスクとらなくていいならリスクをとる必要はない。
勝ってる場面でリスクとって、7割を5割にして足元を不安定にするのは僕みたいなバカのすること。
でも、今2割しかない、危ないし0.5になるかもしれないけど上手くいけば3割になるって状態で石橋叩いてリスクとらないであがいても、相手がマウントとってるならそれへの解答持ってるから、そこでリターン考えずリスク取れないのはちょっと違うと思う。

先日少しばかりリスクをとるのが苦手だなという印象の人に対してこんな発言をしました。この発言が正しいとか間違ってるわとかこんな程度の思考かよお前アホだなとかそういうことを議論するつもりはありません。
この発言に「仮説・仮定」「比較」「経験」の3つが具体的にどういうところに使われているか見てみます。
・「別にリスクとらなくていいならリスクをとる必要はない。」⇒経験に基づく発言
・「勝ってる場面でリスクとって、7割を5割にして足元を不安定にする」⇒数字を使った仮説。
・「石橋叩いてリスク取れないのはちょっと違う」⇒経験に基づく仮説。
・「相手がマウントとってるならそれへの解答持ってるだろう」⇒仮定。
・文章の前部はリスクをとることの否定、後者はリスクをとることを肯定⇒有利不利の2つの状況を比較。

私に考える3つの要素に数字要素も含んだものになっていますね。
これで本当に言語化としてよりよくなっているの?と思う人がいるかもしれないので、逆に全部抜いてみます。
「有利ならリスクとらないけど不利なら石橋叩いてないでリスクとるのがよいからもっと取りなよ」

言いたいことは明確です。ですがそれだけです。
なんで不利ならリスク取るのが肯定されるのかもわかりませんし、有利状況でリスクをとるのが危ないかもわかりません。もし僕がこの内容だけ聴いたら「なんでこいつはこう考えたんだろう」と思うでしょう。

理由を明確に付与するために「仮説・仮定」「比較」「経験」の3つを足す、織り交ぜると、ただ主張された文章と比べて内容に間違いなく深みが出るのです。
そして、織り交ぜが上手くいかない時、文章は味気なくなり、言語化できてないと考えるに至るのだと思っています。


私個人はこれ以外にもいろいろやっています。「性質の理解」とか「方向性の確認」とかいろいろありますし、私の知らないテクニックを持っている人だって沢山存在してその数だけテクニックがあると思います。
ですが、「仮説・仮定」「比較」「経験」の3つだけできればまず不自由しないと考えています。

多量に織り交ぜるのが苦手であるなら、最初の2つの例のように1つ2つ混ぜてみればいいと思います。
言語化行為を行った結果アウトプットされた内容には、絶対の正解が存在しないことが多いので理由はどんなものでもいいのです。内容が批判されるかもしれませんがそれを織り込んで修正するのもいいですし、後付けでも構いません。
誰にも伝わらない、主張だけの何もない味気ない文章が問題なのです。

ちょっとした自分の疑問や、引っかかることや、誰かの質問に対して、味気ない状態で返すのでは自分の主張は理由なき主張でしか伝わらないしょっぱい言語化で終わります。
何かを足して、「なるほど」と言ってもらえるような言語化テクニックで、自分も相手も理解できるよりよい言語化できた主張をぶつけられる一助になれば幸いです。

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